スタッフブログ

お城巡り 愛媛編

今回は「四国編」の続きで「愛媛編」をお届けします。

愛媛県最初のお城は「宇和島城」です。

宇和島城は、中世山城板島丸串城を藤堂高虎が1596年から六年をかけて近世城郭化した平山城です。

1615年に伊達政宗の長男、秀宗が入城後、明治を迎えるまで"西国の伊達"9代の居城でした。

続いては「大洲城」です。

大洲城始まりは、1331年に宇都宮豊房が地蔵ヶ岳に城を築いたことから始まりました。

その後、1595年に藤堂高虎が入城し近代城郭に改造したといわれています。

明治21年に天守が取り壊されたということです。

伊予灘SA

大洲市から松山市へ向かう高速のサービスエリアで「恋人の聖地」を見つけました。

私は一人でしたが、一応写真をとっておきました。

次のお城は「松山城」です。

松山城は、関ケ原の戦いの功績を認められた加藤嘉明が築城を開始し、蒲生氏を経て、紆余曲折のうえ松平氏の時代にようやく完成されました。

県庁所在地の城としては標高が高く、天守までの道のりはなかなか過酷でした。やっとの思いで天守にたどり着いたのですが、やたらと軽装な観光客が多くいて、近くにロープウェイ乗り場を見つけた時には愕然としました。

続きましては「湯築城」です。

湯築城は、現在の松山市道後公園にあり、南北朝時代から戦国時代まで約250年にわたって中世伊予国の守護であった河野氏の居城で、天守のない平山城です。

河野氏は、源平合戦の源氏方として功績をあげ鎌倉時代の有力御家人となり伊予国の統治権を得ましたが、その後徐々に衰退し、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより湯築城を明け渡し約400年にわたる伊予国支配が終わりました。

愛媛編の最後は「今治城」です。

今治城は、瀬戸内海に面し1602年に藤堂高虎が海城として築城しました。

海水を取り入れた水堀を曲輪の周辺に巡らせ、舟入には軍船が出入りできたといわれています。

今治城は造りが単純であるため、内堀の幅が50~70mと広く、石垣の高さは9~13m、石垣の周りに「犬走り」とよばる地盤を強化する平地を設けるなど、各所に守りを堅める工夫がしてあります。

愛媛編は以上です。これで四国は制覇しました。

残す城も43城となりました。次回は岡山編です。

岡山編につづく

ペガサス焼津教室
http://pegasus-yaizu.com/


〒425-0071 静岡県焼津市三ケ名1344-1
TEL:054-639-7228